お墓なんていらなくない?遺灰は自然に撒けばいい。〜自然葬のすすめ〜
お墓なんていらなくないか?
と最近思っています。
ぼくが死んだあとの死体は燃やして、残った遺灰は海や山などに撒いてほしい。
お墓参りや法事が嫌い、というわけではありません。
家族と同じ墓には入りたくない、というわけではありません。
理由はいくつかあります。
・死後にお金をかける必要はない
・死後、肉体は自然に帰るべき
・「家」にこだわる必要はない
・墓地は景観が悪く、環境にも悪い
一つずつ説明します。
死後にお金をかける必要はない
お墓の建設費や維持費はかなり高額です。
お金はこの世のものです。あの世のものではありません。
死んでからお金をかけるくらいなら、生きているうちにお金を使うべきです。
先祖を弔うのに大切なのは、お金ではなく、心でしょう。
高いお金をかけて家から遠いところにお墓をつくり、たまにお参りするよりかは、
身近な家の中に仏壇などをつくり、毎日拝む方がよいのではないでしょうか。
死後、肉体は自然に帰るべき
死体を焼くことにより、骨以外の部分は二酸化炭素や水蒸気などとなり、空気中に放出されますが、骨は残ります。
遺骨を骨壺入れてお墓に入れると、分解されず自然に帰ることができません。
骨だけを自然に帰さずに、狭い壺の中に封じ込めておくのはおかしいと思います。
死後の肉体は自然の大きな循環に帰るべきです。
自分の肉体は分解され、最終的には無数の分子となります。
構成していた分子はバラバラに地球上に散らばり、他の様々な物体の一部となります。
それを繰り返し、自然は循環していくのです。
自然との一体感、死後は自然の循環に帰るという死生観は、日本古来から存在しており、
現代の日本人でも受け入れることは難しくない考えではないでしょうか。
「家」にこだわる必要はない
日本の現在の墓制度は「家」に依存しています。
「家」制度の崩壊、都市化により、墓の維持・継承が難しくなってきています。
また、「家」ではなく「個人」を重視する人が増えてきたことにより、
家族と同じ墓に入りたくない、などと考える人も少なくないようです。
さらに、誰がお墓の世話をするのか、お金を出すのか、親戚内でもめることも想像できます。
そもそもお墓が無ければ、そんな家族や親戚どうしのいざこざも起きないでしょう。
生前に身辺の整理をする、遺言を書いておく、自分の葬儀などを決めておくなど
「終活」という言葉も最近流行りました。
お墓に入るか、自然に撒くかの選択をするのもありではないでしょうか。
「個人」を重視する風潮の中、死後の肉体のことも「個人」の自由とすべきではないでしょうか。
墓地は景観が悪く、環境にも悪い
墓地は景観が悪いです。
墓地のまわりに住みたい人はいないでしょう。
自分と関係のあるお墓なら構いませんが、知らない人のお墓は通りたくないです。
昼はまだしも、夜は無理です。ただただ不気味です。
墓地をつくるために山を切り開いたりするのは、環境破壊です。
日本の墓地には全く自然がありません。人工物の塊です。
人は死んでからも、人工的に造った都市のような場所にいつづけなければならないのでしょうか。
イギリスでは主にこの理由で、反墓石・墓標の流れがあるようです。
人工物である墓石・墓標の代わりに、樹木を植える「樹木葬」が増えてきているようです。
新しい人間が生まれてくる限り、死ぬ人間はなくなりません。
必要なお墓はどんどん増えていきます。
今の日本に普及している「墓石スタイル」は理にかなっているでしょうか。
最後に
最近ふと思ったことちょこっと調べて書いてみました。
自然葬 - Wikipedia を一部参考にしました。
浅はかな考えなので、意見があればぜひ教えてほしいです。
僕が言いたいのは、日本の墓地全部なくせとか、全員遺灰を自然に撒けとか、言うわけではなく、
葬送にもいろんなスタイルがあってもいいんじゃないか、ということです。
社会で様々な多様性が認められてきている中、葬送にも多様性があってもいいんじゃないかなと思います。
僕が死んだときは遺灰を自然に撒いてほしいです。
もちろん、本人と家族の考えが異なる場合もあるでしょうから、
生前にしっかり相談しとかないと、残された遺族はきっと困りますよ。